南信州の風土から生まれた干し柿の逸品
「市田柿」は、500年以上前から続いてきた長野県の南信州地域(飯田市及び下伊那郡)における渋柿栽培の中から誕生しました。 「市田柿」の名は、旧下伊那郡市田村(現下伊那郡高森町)に由来しています。大正10年(1921年)に市田村の篤農家たちが在来の渋柿(焼柿)を「市田柿」と称して東京や名古屋、大阪の市場に出荷をしたのが始まりです。
南信州は、中央アルプスと南アルプスに挟まれた盆地にあり、伊那谷を北から南に流れる天竜川の両岸に連なる段丘上で暮らしが営まれています。 市田柿の高い品質は、晩秋から初冬にかけての盆地特有の朝晩の厳しい冷え込みと天竜川から立ち上がる川霧がもたらす適度な湿度によって、ゆっくりと干し上がることに起因しています。